edo→tokyoは2015年8月のオープン以来、東京に残る江戸時代の名残を多く紹介してきました。

複数の記事の中から一部を抜粋してご紹介します。

  • 高輪に残る門のあと-高輪大木戸江戸時代、各街道には江戸の入り口に当たる場所に大木戸と呼ばれ…
  • 最後のサムライ-山岡鉄舟と全生庵目次山岡鉄舟の墓所、全生庵山岡鉄舟の健脚を作った幼少時代無私…
  • 現在に残る軍事遺跡-第三台場東京の観光名所として知られるお台場。 高層マンションや商業施…
  • 信濃町の地名の由来-一行院と永井尚政慶長5年(1605年)四月、永井直勝の嫡男である尚政は従五位下信濃守の官位を与えられています。その後寛永3年(1626年)、直勝の死後、尚政が家督を継ぎ、永井信濃守を名乗ります。そのため、永井信濃守の下屋敷があったこの辺りが信濃町と呼ばれるようになりました。
  • 秋葉山常夜灯秋葉原の地名の由来–秋葉講と秋葉神社江戸時代、代表者が参拝の旅に出る「代参講」という仕組みがありました。秋葉山に参拝する為の集団を秋葉講と呼びます。秋葉原地名の由来も秋葉山に関係します。江戸時代火除地として空き地になっていたこの地にあった、火防の社を、江戸の人々は火防信仰で有名な秋葉大権現が祀られていると勘違い。秋葉大権現の原っぱ、「秋葉っ原」とよんだことが定着して、地名の由来となりました。
  • 五角形に見る台場跡-台場小品川区に台場小学校という小学校があります。 この小学校周辺を…
  • 羽村取水堰江戸発展の原点-羽村取水堰東京都羽村市を流れる多摩川に羽村取水堰があります。投げ渡し堰と呼ばれる可動堰と固定堰の2つを組み合わせた堰で、投げ渡し堰の部分を見ると、支柱の間に丸太を渡して、水をせき止めていることがわかります。投げ渡し堰は増水の際、堰が決壊することを防ぐために役立ちます。羽村取水堰の水門から先は玉川上水です。玉川上水は江戸に水を引くために作られた人工の水路です。羽村取水堰から四谷大木戸までその距離43㎞もあります。
  • 上野戦争を今に伝える-寛永寺黒門目次荒川区円通寺に残る寛永寺黒門寛永寺が上野戦争の舞台となっ…
  • 紅葉狩りの名所-品川宿海晏寺品川区南品川に海晏寺という曹洞宗のお寺があります。海晏寺は紅葉狩りの名所として知られていました。海晏寺は品川宿にほど近く、品川宿には飯盛女と呼ばれる遊女が多くいました。つまり紅葉狩りに行く口実で、こうした遊郭へ遊びに行っていたようです。
  • 隼町の地名の由来-家康と鷹狩国立劇場があるあたりを隼町といいます。隼町の町名がつけられたのは明治に入ってのことです。江戸時代、武家地には町名はついておらず、明治に入り、旧武家地に町名がつけられます。隼町もその一つです。 町名の由来は、家康入城の頃、この辺りに鷹狩のタカを飼育、訓練する鷹匠の屋敷があったことに由来します。家康は鷹狩を非常に好んで行ったことが知られています。江戸近郊では葛西など、かなりの回数、日数を割いて鷹狩を楽しんだことが記録に残っています。
  • 九代目市川團十郎の大口屋曉雨(札差)蔵前の地名の由来-御米蔵と札差台東区に蔵前という地名があります。江戸時代の幕府の御米蔵がその地名の由来となっており、蔵前にあった御米蔵は1620年、和田倉あたりにあった御米蔵を移転して作られたものです。米蔵から武士の給料として払い出される米の受け取りを代行したのが札差です。札差たちは金融業にも手を広げ、江戸の粋を代表する存在となっていきます。
  • 勝海舟生誕の地の碑勝海舟生誕の地-氷川清話に見る勝海舟の原点勝海舟は、本所亀沢町、現在の両国に生まれます。その後、本所入江町(本所緑)に引っ越しています。それぞれ石碑、案内板を見ることができます。勝海舟の談話をまとめた本に氷川清話があります。自身の生い立ちや人物評、文学評等、実に多くの談話が口語体で記されており、生々しい歴史を感じ取ることができます。
  • 銚子と江戸を結ぶ物流拠点-箱崎川行徳河岸首都高速向島線の経路には、江戸時代箱崎川という川が流れていました。蠣殻河岸、行徳河岸などの荷揚げ場が置かれ、江戸湊の一端を担っていました。行徳河岸の起こりは1632年、南葛西郡本行徳村の村民が土地を借り受け、江戸行徳間で物資の輸送を開始したことにあります。当時行徳は塩の一大生産地で、この塩を運ぶため小名木川、行徳新川の掘削を行い行徳河岸で荷揚げしていました。行徳河岸は利根川を経由し銚子ともつながっていました。
  • 二条城東南隅櫓徳川家の繁栄と衰退を見つめた城-二条城の歴史二条城は家康によって慶長年間に築かれた城です。対朝廷の儀式などに利用され、寛永期にはさらなる改修がなされました。幕末には大政奉還の発表が行われたことで有名です。二条城内には、慶長期、寛永期の普請の名残を見ることができます。
  • 江戸時代の水運を今に感じる-船堀新川川岸江戸川区に船堀、という地名があります。地名の由来は読んで字のごとく、船用の堀、があったことからで、新川(船堀川)とそこから別れる堀入りが由来となっています。
  • 時代とともに姿を変えた-桜の名所御殿山御殿山の名前の由来は、江戸時代、この地に将軍の御殿が設けられたことにあります。御殿は江戸時代初期には鷹狩の際の休息所、茶会等に利用されました。その後桜の名所として知られるようになります。幕末には台場建造のための土取場となり、窪地が今も残されています。
  • 有楽町の地名の由来-織田有楽斎と茶有楽町、という地名の由来には所説ありますが、説の1つとして、織田信長の弟、織田長益の号「有楽斎」にあるというものがあります。慶長年間に織田有楽斎の屋敷があり、その後寛永年間には空き地となっていたところを人々が「有楽の原、有楽原」と呼んでいたことに由来します。明治五年、有楽町という地名が誕生しました。
  • 新宿の地名の由来-内藤新宿追分甲州街道に作られた宿場町、内藤新宿が現在の新宿の地名の由来です。もともと、甲州街道の最初の宿場は高井戸宿でした。しかし、日本橋から高井戸宿までの距離は四里、16キロほどありました。そのため日本橋から二里のこの辺りに内藤新宿という宿場が作られます。
  • 江戸時代の上水場-玉川上水御改場跡新宿区四谷四丁目交差点のそばに玉川上水記念碑があります。江戸…
  • 江戸時代の輪郭-首都高速2020年夏、1964年東京オリンピック以来、56年ぶり2回…
  • 砂州の先端に祀られた-利田神社品川区、旧東海道を天王洲方面に少し下ったあたりに利田神社があ…
  • 神田川沿いに造られた堤防-柳原土手千代田区岩本町に和泉橋という橋があります。神田川にかかる橋な…
  • 麹町の地名の由来-麹と江戸の食麹町の地名の起源は古く中世にさかのぼります。府中に国府がおかれていたころ、甲府方(こふかた)氏がこの道筋に居を構えていました。国府方(こふかた)は文字通り国府への道筋、国府路(こふぢ)を意味します。この姓、また、国府への道筋「国府路(こふぢ)」が現在の町名の由来の一説とされています。
  • 小網町の町名板小網町の地名の由来-江戸の漁と小網町中央区に日本橋小網町(こあみちょう)という地名があります。町名の由来としてはっきりしたことは分かっていません。当地にあった、小網稲荷からその名を取ったという説もあります。ただ、江戸時代初期には入江が、それ以降も魚河岸が存在していたこともあり、江戸の漁業と関連した町名である可能性が高いと考えられます。
  • 源空寺にある伊能忠敬の墓石実測地図の父-伊能忠敬が眠る源空寺台東区上野に源空寺というお寺があります。このお寺には、日本で始めて実測地図を作成したことで知られる、伊能忠敬の墓所があります。伊能忠敬の墓石の隣には、寛政の改暦を行った高橋至時の墓所もあります。幕府の天文方であった高橋至時に師事した関係から、二人の墓所が並んでいます。
  • 板橋の地名の由来-中山道板橋と橋の変遷東京都板橋区、中山道と石神井川が交差する場所にかかる橋に「板橋」があります。板橋の地名は石神井川にかかる橋(板橋)に由来するもの、地形に由来するもの(イタは崖、河岸、ハシは端を表す)の所説があります。どの説がただしいか、はっきりしたことはわかっていませんが、板橋という地名は「義経記」など、鎌倉-室町時代に成立、書写された軍記物に登場していることから、南北朝時代には存在したと思われます。この板橋が、中山道1番目の宿場町にあり、さまざまな歴史を見続けてきた橋であることは間違いありません。
  • 下町深川発祥の地-深川神明宮江戸に入城し、都市開発を行う家康は適所に人材を起用しました。…
  • 赤坂の地名の由来-関東ローム層の赤土東京には色に関係する地名が沢山あります。今回注目したいのは赤…
  • 築地地名の由来-振袖火事と築地本願寺築地の土地は江戸時代の埋め立てによりできた土地です。地名の由来は「地を築く」、まさに埋め立てそのものを表しています。明暦の大火で焼失した本願寺再建の土地として、八丁堀の海上の土地が与えられます。佃島の信徒を中心に1万2700坪を造成し、そのまま拝領することとなります。築地の地名はまさにこの工事、埋め立てそのものを表します。
  • 江戸時代の水道管が残る-本郷給水所公苑文京区本郷に本郷給水所公苑があります。 この公苑内に神田上水…
  • 江戸時代の水運の後-六間堀江戸に入城した家康は、土地の確保のため、低湿地の埋め立てを進…
  • 江戸時代の船着場-日本橋堀留町東京メトロ人形町駅そばに、堀留町という交差点があります。堀留…