- 春日通りの名前の由来-麟祥院と春日局国道254号線の山手線内側の区間は、「春日通り」と呼ばれます。由来は、家光の乳母で、大奥の制度を築いた春日局にあります。文京区湯島に麟祥院という、春日局の願により作られたお寺があり、境内には春日局の墓所もあります。春日局とゆかりが深いことから麟祥院の前を通る254号線は春日通りと呼ばれています。
- 江戸末期の下屋敷跡-肥後細川庭園文京区目白台の関口の近く、神田川沿いに、肥後細川庭園があります。肥後細川庭園は江戸時代末期、肥後細川藩の下屋敷の庭園でした。
- 江戸時代の水道管が残る-本郷給水所公苑文京区本郷に本郷給水所公苑があります。 この公苑内に神田上水の石樋(水道管)が移築されて残っています。 神田上水は1600年ごろ、江戸初期に開設されました。この上水は平川(現在の日本橋川、神田川)にかかる、江戸川橋上流で…
- 旧養生所の井戸-赤ひげ先生と小石川養生所小石川植物園内に、旧養生所の井戸があります。この井戸は江戸時代、この地にあった、小石川養生所で使われていたもの。この地には赤ひげ先生として知られる小川笙船の働きかけで作られた庶民のための診療所がありました。
- 水道橋の由来-神田上水掛樋水道橋駅から御茶ノ水方面に外堀通りを歩くと、歩道わきに「神田上水掛樋跡」の石碑があります。「樋」は管のこと、「掛樋」は上空をわたすための管をさします。水道橋の地名はまさにこの掛樋に由来します。掛樋は江戸時代に作られた上水道、神田上水の水を江戸市中に通水するための水道管の橋でした。この掛樋が現在の水道橋の地名の由来です。
- 関口、水道の地名の由来-江戸初期の名残神田上水跡文京区に「関口」という地名があります。江戸初期に造られた小石川上水へ水を引き入れるため、神田川に造られた堰に由来するという説があります。小石川上水は江戸の町の発展とともに連続的に整備され、神田上水と呼ばれるようになります。
- 水戸徳川家の上屋敷-小石川後楽園文京区、東京ドームのそばに小石川後楽園があります。面積約7万㎡の回遊式築山泉水庭園です。水戸徳川家上屋敷(当初は中屋敷、のち上屋敷火災後、上屋敷となる)の庭として1629年(寛永6年)、造園が開始され、1659年に完成し…
- 時代に翻弄された3人の女性-伝通院(傳通院)と徳川家文京区小石川に伝通院(傳通院・でんづういん)があります。徳川家康の生母である於大の方(おだいのかた)の菩提寺、徳川家の菩提寺として、徳川将軍家に関連する人物が多く眠っています。