板橋の地名の由来-中山道板橋と橋の変遷

板橋の地名の由来-中山道板橋と橋の変遷

板橋の地名の由来

東京都板橋区、中山道と石神井川が交差する場所にかかる橋に「板橋」があります。板橋の地名の由来は以下のような説があります。

  1. 1.石神井川にかかる橋(板橋)に由来
  2. 2.地形に由来。(イタは崖、河岸、ハシは端を表す)
    (竹内誠編 東京の地名の由来辞典)

どちらの説がただしいか、はっきりしたことはわかっていませんが、板橋という地名は「義経記」など、鎌倉-室町時代に成立、書写された軍記物に登場していることから、南北朝時代には存在したと思われます。また、1の説をとっても、冒頭に紹介した、中山道にかかる「板橋」が、板橋の地名の由来になっていることを示すものはありません。しかし、この板橋が、中山道1番目の宿場町にあり、さまざまな歴史を見続けてきた橋であることは間違いありません。

余談ですが、中山道の板橋を見てみると、橋が途中で二つに分かれていることがわかります。石神井川がこの地点で大きく屈折しており、近年氾濫を防止するためまっすぐな河川の流れとしたためこのように2つに分かれた形になっています。日本橋側、旧河川にかかる橋が古くからの板橋、京都側、新河川にかかる橋が近年追加された板橋ということになります。

橋の変遷と板橋

板橋、という地名が鎌倉-室町時代にはあったこと、また、地名の由来が石神井川にかかる橋であったとすると、この時代の板橋はどのような姿だったのでしょうか。

古代の橋は小川に飛び石のような形で石を配置したものや、丸太を渡しただけの丸太橋でした。丸太にくさびをうち、大きな幅の板が作られるようになります。この板を単に河川に渡したり、沼地に敷いただけの素朴な「板橋」が作られます。ただ、この板の作成には大変な労力がかかったようで、積極的に用いられるようになるのはのちの飛鳥時代まで下ります。

こうした丸太や板を両岸に渡したような橋が作られるのに並行して、橋桁(橋脚)を川の途中に作り、そのうえに板を渡す橋も作られます。川の浅瀬に2本の丸太をうち、これに横木を結びつけ、さらにその上に板を並べていきます。2本の丸太(橋脚)が浅瀬にしか作れないため、橋脚と橋脚を板で渡してゆくと、途中で幾重にも橋が折れたような恰好になります。これが庭園などにその姿を残す、八つ橋形式の橋です。弥生時代の後期の遺跡にはこうした橋脚を伴う板橋が発掘されています(小山田了三著 橋)。

八つ橋

また、その後進んだ橋梁技術が朝鮮半島からもたらされ、7世紀以降の都市づくりに多く用いられました。8世紀のものとされる神戸吉田南遺跡から出土した橋は長さ13メートル、幅1.4メートル、橋脚の杭の直系が25センチと大きな橋が作られるようになっていました(小山田了三著 橋)。

石神井川にかけられて板橋もおそらく主要街道にかけられた比較的大きな橋であったと考えられます。ただ、まだまだ周囲には大きな橋はなく、珍しい物であったのではないでしょうか。そうしたことから「板橋」の名前が長く地名に残っていたとしても不思議ではありません。

東京に残された江戸時代に由来する地名

この記事で紹介した以外にも、東京には江戸時代に由来する地名が多く残されています。

その他の地名の由来をみる