- 江戸時代の桜の名所、飛鳥山-飛鳥山の由来と花見の起源飛鳥山の名前の由来は、平安末期、豊島氏が紀州和歌山熊野より勧請したといわれる、飛鳥明神、王子権現よりその名前が来ているようです。1720年、吉宗により飛鳥山の地に桜が植えられ、江戸市民に開放された桜の名所となりました。宗教行事が起源であった桜の花見は江戸時代に入り娯楽として広がっていきました。
- 近藤勇の墓所-板橋駅前供養塔板橋駅東口を出てすぐの場所に近藤勇の供養塔があります。近藤勇の墓地は各所に存在しているのですが、ここ板橋駅前の供養塔には胴体が埋葬されていると伝えられています。近藤勇は板橋宿手前、平尾一里塚付近で処刑されます。終焉の地に近いこの場所に新選組隊士の1人であった永倉新八が発起人となり、明治9年(1876年)、供養塔が作られました。