江戸時代の水運を今に感じる-船堀新川川岸

江戸時代の水運を今に感じる-船堀新川川岸

江戸時代の水運を今に感じる-船堀新川川岸

江戸川区に船堀、という地名があります。地名の由来は読んで字のごとく、船用の堀、があったことからで、新川(船堀川)とそこから別れる堀入りが由来となっています。

現在でも中川から、旧江戸川にかけて、約3キロほどの流路を見ることが出来ます。両岸は親水テラスとして綺麗に整備されており、新川の流れを見ながら気持ちよく散歩が出来ます。

小名木川、新川は江戸への物資輸送のために造られた人工の河川です。

江戸時代の塩の道-小名木川

江戸初期の土木技術により造られた水路ですから、吃水の深い大型の船舶は通行をできませんでした。また、自然の河川からの土砂の堆積もあったようです。1808年に行われた小名木川の川浚い(堆積土砂の掘り返し)について書かれた、日本橋川筋竪川小名木川浚一件書留という資料があります。工事に先立ち、小名木川の水深を測定した記述によると、最も浅い箇所、旧中川との合流点あたりで干潮時の水深が36センチであったとあります。おそらく新川も同じような状態であったと思われます。

これだけ浅い水深の運河をどのようにして船が航行していたか、鈴木理生著の「江戸の川・東京の川」に詳しい記述があります。曳舟と呼ばれる方法です。1人が川岸船の前方で縄を使い船を船を引き、もう1人が川岸の船の横に立ち竿で船を押します。これにより浅い箇所もそりのように引くことが可能です。また、市街地など、川岸に建物が建つ場合や、橋をくぐる場合などは、竿で船を進めるなど、柔軟な方法で船を進めることが出来ます。新川は江戸に入る前の都市郊外ですから、川岸に建物などの障害物がありません。そのため、上記の曳舟による輸送が主だったと考えられます。新川沿いを歩くと、川の水面が歩道と近く、当時の曳舟の様子をイメージすることが出来ます。

また、運搬に使われる川船にも工夫がありました。新川など奥川廻しや、全国の河川で使われた船は河川の条件が所々で異なるため、一つの型が普及することなく、様々な型がありました。共通している点はどれも吃水が浅いこと。内陸までの輸送や、土砂の堆積による川底の変化に対応するためと考えられます。

以下にいくつか川船の型をあげます。(中川船番所資料館の展示による)

伝馬船:長さ13メートルほど、木場の材木問屋などで、材木の運搬に使われました。

葛西船(かさいぶね):長さ8メートル、江戸からの下肥(畑の肥料となる人糞)運搬などに利用されます。

猪牙船(ちょきせん):長さ7メートル、吉原通いにも利用されたため、別名を山谷船といいます。

高瀬船:長さ26メートル、利根川水系航行の船では最も大きいものです。長距離の航行のため、乗員が居住する世事(せいじ)の間も設けられていました。海船にちかい本格的な帆装をもちます。

荷足船(にたりぶね):長さ7メートル、江戸掘割での小荷物輸送に使われます。猪牙船と同じくらいの長さですが、荷物を積むため幅が広いのが特徴です。

日除船:長さ8メートル、舟遊び、江戸市中の移動に利用されます。武士が乗船する屋形船とは区別され、仕切りにはすだれがあったが、下げることについては制限が設けられていたようです。

水運が身近にあった江戸時代の様子を、江戸川区新川の川岸に感じることが出来ます。

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