蔵前の地名の由来-御米蔵と札差

蔵前の地名の由来-御米蔵と札差

蔵前の地名の由来

台東区に蔵前という地名があります。江戸時代の幕府の御米蔵がその地名の由来となっており、蔵前にあった御米蔵は1620年、和田倉あたりにあった御米蔵を移転して作られたものです(江戸発展を見る二つの倉-和田倉、蔵前)。

幕府の御米蔵は当初、上記の和田倉や北の丸、鉄砲洲、竹橋などにありましたが、都市の発展とともに、一部を残して蔵前、本所など、郊外に移転されました。

蔵前の御米蔵の面積は3万6650坪(約99ヘクタール)。一番堀から八番堀まで8つの堀が並び、埠頭の役目をはたしていました。堀に沿って54棟もの倉が立ち並び、常時4,50万石がつめれていました(北原進著 江戸の高利貸)。1石が1000合に当たるため、大体4,50万人の年間の米が備蓄されていたことになります。

蔵知行と御米蔵

蔵前の御米蔵に備蓄された米には、武士の給料(知行)として支給されるものがありました。このように御米蔵の米(蔵米)によって支給される知行(給料)を蔵米知行と言います。領地をもたない、御家人などの下級武士はこの蔵米知行である割合が高かったようです。

知行は原則、米として支給されますが、実際には一部を幕府が定めた換金率で現金化して支給されることがありました。現金として渡す割合や、換金率は支給日前に江戸城内に張り出されます。この米相場のことを張紙値段、御張紙と言いました(北原進著 江戸の高利貸)。

切米手形、札差の登場

切米手形の換金

現金として受け取った残りは米として支給されます。支給を受ける武士は事前に、それぞれ自分の氏名や、受け取る米の量を書かれた切米手形と呼ばれるものを受け取っています。支給日当日、この切米手形を御米蔵の入り口にあるわら束の棒(藁苞わらづと)に差し、順番を待ち、米を受け取る必要がありました。受け取った米のうち、必要な量だけを残して、残りを換金します。そのため蔵前は支給を待つ武士や、仲介人、また、米を運搬する人々で大変な賑わいを見せました。

江戸の初期には知行米の支給は3期に分けて3分の1ずつ、年三回支給されていました。享保8年(1723年)になると、春の2月ごろに4分の1(春借米)、夏の5月ごろに4分の1(夏借米)、冬の10月に2分の1(冬切米、または大切米)を支給する、という制度に代わっていきました。支給を受ける武士は年3回、上記のプロセスを行う必要がありました。

切米手形換金の流れ
切米手形の換金の流れ。知行米を受ける御家人などはこうしたプロセスを年3回行う必要があった。

札差とは

札差とは、本来武士が行う、切米手形を藁苞にさす(差し札)、米を受け取る、換金を行う、という上記のプロセスを代行して引き受けた職業人たちのことです。札差は支給日前に得意の武家屋敷をまわり、切米手形を預かります。そして支給日当日、御米蔵から代行で米を受け取り、換金した内から自身の手数料を差し引き、武家屋敷に現金を届けました。

札差登場以降の切米手形換金の流れ
札差登場以降の切米手形換金の流れ。札差の登場により、御家人は自分で知行米の受け取り、換金を行う必要が省けた。

金融業としての札差

札差の仕事は換金の代行のみにとどまりませんでした。御家人が経済的に貧窮するようになり、お金を借りる必要が出てきます。彼らがお金を借りる際に担保としたのは、給料である切米手形でした。切米手形を抵当にお金を借りるとすると、切米手形を換金する代行業であった札差は非常に都合がいい立場にいます。御家人は自身の札差に、切米手形換金の代行業務の依頼を確約した上で借金をします。札差は、切米手形を受け取ると、手数料と借金を天引きし、残りの金を御家人に届けます。札差は借金の手数料(利息)を収益として、力をつけていきました。

札差が力をつけ、同業者が増えてくると、同じ切米手形を担保に二重三重に借り入れが行われたり、不当に金利を上乗せしたりと、賃借関係のトラブルが多くなっていきます。寛政の改革での棄捐令発布や、公定利子の制定などの規制も行われましたが、御家人の経済的な貧窮を背景に札差は衰退と繁栄を繰り返すこととなります。

札差が見せる粋、蔵前風

明和、天明期(1764-89年)には、札差はますます富を集め全盛期を迎えます(洋泉社 図解大江戸八百八町)。こうした財力を背景に一見非生産的とも思われることに湯水のようにお金をつかう様が粋、通としてもてはやされました。特に大通人を「十八大通」とよび通人の代表としてもてはやされたそうです。十八大通のほとんどが蔵前の札差。札差が粋な通人として注目されていたことが分かります。

冒頭にあげた画像は十八大通の代表と言われる大口屋治兵衛暁翁です。今助六と呼ばれ、いわば舞台役者のパトロンとして多額な金をつぎ込みました。治兵衛をはじめ、札差、大通たちはひいきの舞台役者の服装を取り入れ、また、役者もひいきの大通のため、彼らの衣装を取り入れます。札差、大通はこうしたやり取りの中で、独自の文化、価値観が発展し、粋な「蔵前風」と言われる風俗を生み出していきます。

(画像元 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Danj%C5%ABr%C5%8D_Ichikawa_IX_as_%C5%8Cguchi-ya_Gy%C5%8D-u_in_Ky%C5%8Dkaku_Harusame_Gasa.jpg)

東京に残された江戸時代に由来する地名

この記事で紹介した以外にも、東京には江戸時代に由来する地名が多く残されています。

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