• 百人町の地名の由来-御家人の暮らし新宿区に百人町の地名の由来は、将軍直轄の軍団である、鉄砲百人組の同心(与力の下の身分の下級役人)たちの組屋敷があったことにあります。この地に百人組の組屋敷が作られ江戸の守りを固めていました。
  • 江戸時代の上水場-玉川上水御改場跡新宿区四谷四丁目交差点のそばに玉川上水記念碑があります。江戸時代、ここに玉川上水御改場(水番屋)があったことにちなみます。 水番屋というのは、上水の水質、水量管理の役人のための詰所です。玉川上水は1654年、三代目家光の…
  • 新宿の地名の由来-内藤新宿追分甲州街道に作られた宿場町、内藤新宿が現在の新宿の地名の由来です。もともと、甲州街道の最初の宿場は高井戸宿でした。しかし、日本橋から高井戸宿までの距離は四里、16キロほどありました。そのため日本橋から二里のこの辺りに内藤新宿という宿場が作られます。
  • 半蔵門の名前の由来-服部半蔵と伊賀同心地下鉄の路線名でもその名が知られる半蔵門ですが、この服部半蔵率いる伊賀同心組が警護を行ったことがその名の由来とされています。半蔵門は江戸城における有事の際の逃亡のための門とされています。半蔵門から城を脱出し、甲府へと向かう甲州街道を通り、甲府城へ逃れる手はずとなっていたといわれています。そのため、甲州街道沿いは警備強化のため、百人同心などを住まわせています。
  • 余水吐跡玉川上水の遺構-余水吐跡四谷大木戸跡の近く、新宿御苑の脇に茂みがあります。この茂みは余水吐の流路の跡。江戸時代、玉川上水の余水を渋谷川に排水する役割をはたしていました。
  • 信濃町の地名の由来-一行院と永井尚政慶長5年(1605年)四月、永井直勝の嫡男である尚政は従五位下信濃守の官位を与えられています。その後寛永3年(1626年)、直勝の死後、尚政が家督を継ぎ、永井信濃守を名乗ります。そのため、永井信濃守の下屋敷があったこの辺りが信濃町と呼ばれるようになりました。