神田川沿いに造られた堤防-柳原土手

神田川沿いに造られた堤防-柳原土手

神田川沿いに造られた堤防-柳原土手

千代田区岩本町に和泉橋という橋があります。神田川にかかる橋なのですが、江戸時代、この橋のあたり、さらに隅田川にかけて柳原土手という堤防が築かれていました。
神田川は、1620年前後、第三次天下普請の際に作られた人口の川です。水道橋から御茶ノ水、昌平橋のあたりを流れる神田川は、海抜18メートルの本郷台地を縦断します。この台地を1.1キロにもわたって掘削したのですから、大変な工事であることが想像できます。もっとも、この第三次天下普請の際に掘削された神田川は充分な深さはなく、1660年に行われた万治の工事で舟が通行できるほどの川として完成となりました。
この神田川が作られた最も大きな要因は洪水対策です。徳川家康入城の頃の江戸には、平川、谷端川、小石川の三本の川が合流し、江戸城近くの日比谷入江に流れ込んでいました。また、旧石神井川も不忍池から江戸橋付近へ流れてしました。町の中心部となるべき場所に4本の川が流れていたのです。
これらの流れを東に変え、上記の4本の川をまとめて隅田川に流れ込むようにしたのが隅田川です。
この工事のおかげで江戸城近辺の南側の洪水はなくなったのですが、本郷台地の東側の洪水が発生するようになってしまいました。
その対策のために作られた堤防が柳原土手です。こうした堤防は神田川の南側のみに作られました。これは北側を犠牲にすることで、南側、つまりは江戸城を守るためのものです。そのため江戸期の洪水記録では、神田川南側、北側で被害状況が対照的になっています。