江戸時代の生産、物流-下り物と下らぬ物

江戸時代の生産、物流-下り物と下らぬ物

江戸時代の生産、物流-下り物と下らぬ物

江東区亀戸の亀戸香取神社境内に「亀戸大根之碑」という石碑があります。現地案内板によると、江戸後期から明治にかけて、この地で大根作りが行われていたとあります。

江戸の町はほとんどが武家地、寺社地でした。これらは経済的には消費だけの空間であり、江戸は非生産人口が多い一大消費地だったわけです。江戸で消費される生活必需品や、嗜好品は京・大阪から送られてきました。しかし、生鮮食料品はそうはいかず、江戸近郊で作られました。

亀戸大根は江戸の終わりから作られましたが、他にも隅田川東側の低湿地帯では里芋やレンコン、西側の台地では根菜類など、その土地にあった作物が作らていました。こうした江戸近郊で作られた品物は地廻り物と呼ばれました。

一方、京・大阪から送られた物資は下り物と呼ばれました。上記の通り、生活必需品以外にも、呉服、美術品など、文化先進地帯である上方から送られた高品質なものを下り物、と総称したわけです。

それに対して、地廻り物は下らない物、と呼ばれました。生鮮食料品は別ですが、それ以外の品は上方からの下り物と比較して劣るものという意識があったようです。「くだらない」の語源はここから来ているという説もあります。

下り物は水運を利用して、河岸、物揚場に到着、江戸に入ってきます。河岸は町地における荷揚げ施設、物揚場は武家地における荷揚げ施設でそれぞれ区別されていました。河岸に上がる荷物は菱垣廻船、樽廻船など民間の業者による輸送であったのに対し、物揚場に上がる荷物は藩の船、藩から委託を受けた船による輸送で、藩の特産品などが江戸に送られました。しかし、こうした藩の特産品も、藩直営の流通経路ではなく、大体は大阪までの輸送、その場で売却されて、下り物として江戸に入るケースが多かったようです。

亀戸大根などの地廻り物は現在、東京都区部の都市化で、生産がなくなったものや、場所を変え郊外で生産されるものがほとんどになっています。