隼町の地名の由来-鷹狩と鷹匠

隼町の地名の由来-鷹狩と鷹匠

最高裁判所、国立劇場があるあたりを隼町といいます。隼町の町名がつけられたのは明治に入ってのことです。江戸時代、武家地には町名はついておらず、明治に入り、旧武家地に町名がつけられます。隼町もその一つです。

町名の由来は、家康入城の頃、この辺りに鷹狩のタカを飼育、訓練する鷹匠の屋敷があったことに由来します。

鷹狩は、タカを捕獲する狩りではなく、飼い慣らした鷹を使用して、鳥などを捕獲する狩りのことです。鷹狩の歴史は古く、西暦300年ごろ、応神天皇や、仁徳天皇の時代からあるとされています(岡崎寛徳著、「鷹と将軍」による)。

家康も鷹狩を非常に好んで行ったことが知られています。江戸近郊では葛西、埼玉県行田市の忍など、かなりの回数、日数を割いて鷹狩を楽しんだことが記録に残っています。

鷹狩で捉える獲物は白鳥、鶴、鴨などで、中でも白鳥、鶴は重視されていたそうで、「当代記」にも白鳥を捉え喜ぶ家康の姿が記録されています。こうした獲物は皇族や諸大名に献上したり、貴賓のもてなしの席で振る舞われたようです。

鷹狩で使用する鷹は、北海道、東北地方の諸藩が幕府に献上したものです。鷹狩は諸大名からの献上、皇族への献上、諸大名への下賜など、幕府の統制システムに深く関わりがあったことがわかります。献上された鷹を訓練、飼育する鷹匠はかなり重要な役割を担っていたと言えます。