海を名前に残す公園-和田倉噴水公園

海を名前に残す公園-和田倉噴水公園

海を名前に残す公園-和田倉噴水公園

江戸時代の遺構、和田倉噴水公園

東京駅から徒歩5分ほどのところに和田倉噴水公園という、大きな公園があります。昔和田倉門という江戸城の御門があった場所です。現在も馬場先堀、枡形に組まれた石垣から、昔の様子を思い起こすことができます。

和田倉の和田は「ワダ」、海を表す古い言葉です。
その名の通り、徳川家康が江戸に入城した1590年、この辺りは日比谷入江と呼ばれ、海が入り込む場所でした。

家康入城当時、和田倉噴水公園の場所、北側に作られた道三堀を利用した海上交通の荷上場として蔵が作られました。和田倉とはまさに和田、つまり海辺に作られた倉があったことに由来する名前です。

その後大名屋敷、厩、幕府御用地であったりと様々な変遷を経て現在の公園の形ができました。
1632年に刊行された「武州豊嶋郡江戸庄図」ではすでに日比谷入江は姿を消し、枡形の門が馬場先堀にあることがわかります。

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江戸期を通してこの地にあった屋敷の面積は2720坪(約9000㎡)、これは現在の和田倉噴水公園の範囲と一致します(千代田区教育委員会 江戸城跡 和田倉遺跡)。

1994年、和田倉噴水公園の改修工事に伴い、一部の発掘調査が行われました。この結果、この場所の起こり、変遷を裏付ける様々な発見がありました。

和田倉遺跡発掘調査で分かった海の跡

発掘調査で主に発見されたのは江戸時代の大名屋敷の遺構です。低地であるため建物の遺構が礎石以外に木材も含めて残されていました。また、その他の建築部材、陶磁器等様々な時代にわたり発見され、当時の人々の生活を知る貴重な資料となりました。

また、興味深いのは江戸初期のその土地の起こりについての裏付けです。

発掘調査以前に行われていた地質調査では標高0メートル付近に有楽町層と呼ばれる沖積層が堆積しており、貝殻や腐食土を含んでいることが分かっています。

和田倉遺跡発掘調査で、有楽町層最上部が水位面より低いことが分かりました。このことから、ここが「和田」、つまり昔海であったことが裏付けされました。埋蔵物の年代から、埋め立てが行われた時期は江戸初期、家康が入城し、日比谷入江を埋め立てた可能性が高いことが確認されました(千代田区教育委員会 江戸城跡 和田倉遺跡)。

現在は有楽町層から4メートルの堆積があり、各時代ごとの埋蔵物が発見されていることから、江戸期を通して埋立が段階的に行われていることが明らかになりました。

時代とともに地形を変え、様々な利用をされてきましたが、和田倉、という地名が江戸初期の名残を今に伝えています。

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