麹町の地名の由来-麹と江戸の食

麹町の地名の由来-麹と江戸の食

麹町の地名の由来-麹と江戸の食


麹町の地名の由来

千代田区に麹町という地名があります。現在は半蔵門から四ツ谷駅(四谷見附跡)まで、麹町1丁目から6丁目までが地名として残っていますが、かつては半蔵門から四谷見附までが麹町1丁目から10丁目、四谷見附より外に13丁目までが存在していました。

麹町の地名の起源は古く中世にさかのぼります。府中に国府がおかれていたころ、国府方(こふかた)氏がこの道筋に居を構えていました。国府方(こふかた)は文字通り国府への道筋、国府路(こふぢ)を意味します。この姓、また、国府への道筋「国府路(こふぢ)」が現在の町名の由来の一説とされています。

現在の「麹」、の字があてられるようになったのは江戸の発展と関係があるようです。家康が江戸に入城してから約40年後に作られた武州豊嶋郡江戸庄図では「かうち丁」とされています。江戸時代に入り、国府路に麹屋が軒を並べるようになり、国府路は糀、麹へと変化していき、麹町の呼称が定着していったと考えられます(弘文堂 江戸学事典)。

発掘された麹室

2017年1月、かつての麹町11丁目から13丁目にほど近い場所にある、「四谷1丁目遺跡」の発掘調査が終了しました。JR四谷駅前再開発事業にともなうこの発掘調査は1万6000㎡に及ぶ大規模なものでした。

遺跡では麹を作る地下室、「麹室」が26群、約100室も発見され、寛永期(1624年~1645年)ごろからこの地で麹が広く作られていたことが確かになりました。麹町11丁目の町屋跡から味噌札が発見されていることから、ここで作られた麹は味噌の原料として使われていたと推測されます。

(江戸東京博物館展示を撮影)

味噌の起源と江戸の味噌づくり

味噌の歴史はさらに古く、紀元前2000年ごろには中国で味噌の原型とされる調味料があったとされています。その後大和時代に日本に「唐醤」「高麗醤」の製法が伝わります。この大陸からの製法と日本独自の製法が合わさり、現在に続く味噌へとつながっていきます(「モノ」の始まり百科)。

江戸時代までの味噌は自分の家で作る、つまり「手前味噌」が当たり前でした。味噌を買うということは贅沢なことであったようです。江戸時代になり、江戸が100万都市となると、味噌を専門に作る味噌屋が多く誕生します。

江戸で作られた中で人気を博していたもの中に仙台味噌、江戸甘味噌があります。

仙台味噌は仙台藩が江戸で自家用に作っていた余りを近隣に分けたことがきっかけで人気となり、江戸の味噌屋で広く作られるようになりました。

江戸甘味噌は家康の命で作られるようになったとされています。醸造期間が10日~1か月と他の味噌と比べて短く、塩分が低いため、長期保存ができませんでした。また、この江戸前味噌は米麹をたっぷり使うぜいたく品であったため、庶民が口にする機会は少なかったようです(江戸の料理と食生活)。

江戸の発展を垣間見る地名が麹町に残されています。