紅葉狩りの名所-品川宿海晏寺

紅葉狩りの名所-品川宿海晏寺

サメの腹から出た観音を本尊とする海晏寺

品川区南品川に海晏寺という曹洞宗のお寺があります。山号を補陀落山といいます。

開基は北条時頼。建長3年(1251年)の事です。本尊は鮫洲観音といい、以下のように伝わります。

当寺門前の海中より大なる鮫、漁夫の網にかゝりてあかりしか、その腹中より正観世音出現し玉(たま)ふ(田澤拓也著 江戸の名所、原著は江戸名所花暦)

このことを鎌倉幕府に届けたところ、北条時頼がその観音の木像を本尊とする海晏寺の創建を命じたとされています。

海晏寺はその後戦国期に戦火により焼失。江戸に入府した家康の命により慶長元年(1596年)に再興されます。創建の際は臨済宗のお寺でしたが、この再興の際に曹洞宗のお寺に改められ現在に至ります。

紅葉狩りの名所と楽しみ

海晏寺が江戸時代に有名であったのは、紅葉狩りの名所としてです。江戸時代の庶民にも紅葉狩りは親しまれており以下のような名所がありました(渡辺信一郎著 大江戸庶民のあっと驚く生活考)。

  1. 真間山弘法寺
  2. 秋葉大権現
  3. 滝野川
  4. 海晏寺
  5. 目黒瀧泉寺
  6. 正燈寺

中でも海晏寺と正燈寺は特に人気のある紅葉狩りスポットでした。これは紅葉の美しさのみが関係しているわけではなく、その立地にあります。

正燈寺があったのは下谷、近くには幕府公認の遊郭で名高い吉原があります。そして海晏寺は品川宿。飯盛女と呼ばれる遊女が多くいました。つまり紅葉狩りに行く口実で、こうした遊郭へ遊びに行っていたようです。

紅葉狩り

どっちへ出ても

魔所ばかり(佐藤今朝夫著 目で見る江戸・明治百科)

という古川柳も、紅葉狩りのもう一つの楽しみを表しています。

堅い奴

うどんで紅葉

見て帰り(渡辺信一郎著 大江戸庶民のあっと驚く生活考)

という古川柳も詠まれています。このうどんは行徳の有名店「笹屋うどん」のうどんです。小名木川、新川を船で移動し、行徳で降り、真間山弘法寺で紅葉狩りをし、名物のうどんを食べる・・。純粋な紅葉狩りの楽しみ方なのですが、遊びを伴わない紅葉狩りはどうも無粋であったようです。

品川宿の賑わいと海晏寺の楓

海晏寺が紅葉狩りの名所となる一因であった品川宿の賑わいはどのようなものだったのでしょうか。1658年に刊行されている東海道名所記には

品川の宿には遊女おほし。旅人のとをるとき、手あらひける女のはしり出てまねきとむるをみて(今井金吾著 今昔東海道独案内)

とあり、すでにこの頃から多くの遊女(飯盛女)がいたことがわかります。

品川宿は幕府黙認の遊郭でした。享保3年(1718年)には旅籠屋に2人の飯盛女を置くことを許可しています。その後も飯盛女は増え続け、宝暦14年(1764年)には品川宿全体で500人の飯盛女を許可しています。

江戸に近く栄えた品川宿が一因となり、海晏寺の楓も江戸市中で有名となりました。