虎ノ門の地名の由来-江戸の町づくりと虎ノ門

虎ノ門の地名の由来-江戸の町づくりと虎ノ門

虎ノ門の地名の由来

虎ノ門ヒルズなど大型のオフィスビルや公官庁のビルが並ぶ虎ノ門。地名の由来はまさに江戸城外堀に設けられてた虎之御門という桝形の門があったことにあります。

では、なぜこの門が虎ノ門と呼ばれるようになったかについては以下のように諸説あります。

  • 千里を行き、無事に千里を帰るという虎に由来

家康以前の江戸城城主であった太田道灌が、城から出陣する際、千里を行っても無事に千里を帰ってきたことを祝して虎にちなんだ名をつけたという説です。ただ、説としての信ぴょう性は低く、元和日記という書物に

六年四月、三之丸虎之口石壁は、安部四郎五郎正之奉行として、伊豆、相模、駿河三ヶ国の人夫を以て、石を江戸に運ぶ

とあり、虎ノ門はおそらく江戸幕府が開かれた以降に作られた門であると考えらえます。

  • 四神相応の右白虎に当たる門であることから

江戸の都市計画を進めるにあたって、参考にされたとされる、陰陽学の考え方、四神相応の地形の白虎に当たる方角に作られた門であることから、虎ノ門という名前がついたという説です。

虎ノ門交差点にある虎ノ門跡の石碑。実際の虎ノ門跡は少し離れた位置にある

新版江戸大絵図に見る虎ノ門(図中央)と現在の虎ノ門跡。外堀跡がそのまま道の形となっていることがわかる

 

四神相応と江戸の町づくり

家康が江戸の町づくりを進めるにあたって、長く都として繁栄した、平安京の町づくりを参考にしたとされています。平安京の町づくりにおいて、原理となっているのが、陰陽学の土地選びの考え方でした。

陰陽学においては「四神相応の地形」を選ぶことが町づくりの原則となっています。

東に「青龍」:川が流れる土地

南に「朱雀」:池や海

西に「白虎」:大きな道

北に「玄武」:山

上記の四神にかなった土地が町づくりに適した土地であるという教えです。平安京は東に鴨川(青龍)を有し、南に巨椋池(朱雀)、西に山陽道(白虎)が通り、北に船岡山(玄武)があり、まさに四神相応の土地といえます。

江戸においては東西南北できれいに四神に当てはめることができないのですが、大手門を町の正面(南)と据えると、下に江戸湾、右に平川(日本橋川)、上に山手台地、そして左に東海道が通るまさに四神相応の土地と考えることができます。

家康がどれだけ陰陽道の考えを重視したかはわかりませんが、「柳営秘鑑」という書物には

凡此(おおよそこの)江戸城、天下の城の格に叶ひ、其土地は四神相応に相叶へり。先づ、前は地面打開き、商売の便り能き下町の賑ひは、前朱雀に習ひ、人の群り集る常盤橋、又竜の口の落口潔きは、右青竜の流れを表し、往還の通路は品川まで打続き、左白虎を表して虎門あり、うしろは山の手に続き、玄武の勢ひ有。

としており、江戸の地相が四神相応にかなったものであることを強調しています。徳川政権の安定を願い、平安京にあやかって長く江戸が続くことを祈ったものと考えらえれます。

江戸の町の立地条件

陰陽学がどれだけ信ぴょう性の高いものかは定かではありませんが、江戸の町が長く続き、現在の東京を形づくった理由の一つにはその立地があります。

まずは物資輸送面について、古くから江戸湊として関東の水運の玄関口であったことや、利根川が流れ込み、内陸への水運も比較的実現しやすかったことが利点として考えられます。

また、山手台地が広がり急崖に面しており、軍略の要所であったこともあります。

これまで関東で都市として栄えた鎌倉では近世城郭を構築するための土地が準備できず、小田原では関東平野の西によりすぎているなどの要因もあり、現在の地が日本の中心として長く栄えていくきっかけとなりました。

参考文献

  • 東京百年史 第一巻
  • 北島正元著/日本の歴史16 江戸幕府
  • 村上直著/江戸幕府の政治と人物
  • 支倉清・伊藤時彦著/お稲荷様って、神様?仏様?
  • 内藤昌著/江戸の町(上)
  • 西ヶ谷恭弘著/城郭
  • 増補 大日本地名辞書 坂東
  • 竹内誠編/東京の地名由来辞典