上記にあげたのは人形町付近の標高図です。
(国土地理院 レーザー測量 東京都区部中心部を一部トリミングして転載
http://www1.gsi.go.jp/geowww/Laser_HP/image/tokyo1(DEM)_h.jpg)
白い線で書き入れたのは日光街道の一部です。地形の微高地、尾根の部分を通っていることがわかります。これは江戸前島を南下する東海道も同様です。
日光街道の南東、現在の人形町あたりは低い土地が広がっています。利根川水系河川の砂泥が広がっていたと考えられます。この辺りに江戸初期の歓楽街、吉原がありました。
吉原の語源は河川の砂泥の洲であった、場所にあるようです。葭原、つまりアシが一体にはえる低湿地帯そのものを表しています。これがアシ原(悪し原)とも言えることから、吉原と文字まで変えて今に至るようです。
吉原はわずか40年ほどで現在の吉原の位置に移され、元吉原となります。吉原を囲んでいた掘割も埋められますが、その一角であった浜町堀は現在も緑道として当時の形をわずかに残します。
アシの原に作られた歓楽街-元吉原
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