台地の河川浸食の跡-待乳山

台地の河川浸食の跡-待乳山

台東区浅草に、待乳山聖天があります。正しくは待乳山本龍院というお寺で、最近ではパワースポットとしても人気のようです。
その人気は江戸時代も同じだったようで、江戸名所図会、東都名所にも描かれています。先に上げたのは東都名所。タイトルを見ると「待乳山」ではなく、「真土山」となっています。この真土山の語源については諸説ありますが、以下が代表的なものです。
1,郷司である土師中知(真中知)にちなむ
三社祭の「三社さま」の一人、土師中知の名前から来たという説です。真中知をマツチ、とも読み、待乳山が旧豪族の居館跡、古墳跡であった可能性からこの説が唱えられます。
ちなみに、江戸湾で漁をしていた、檜前浜成、竹成兄弟の網にかかった聖観世音菩薩像を土師中知の邸内に祀ったのが浅草寺の始まりと伝えられています。三社祭の三社は上記の檜前浜成、竹成、土師中知を指します。
2,山の由来、真土にちなむ
真土、つまり人工の盛土ではなく、自然の山であることを指す真土から派生したという説です。付近のデジタル標高地形図を見ると、確かに周辺の土地より浅草寺、待乳山周辺について、標高が高くなっていることがわかります。image(国土地理院webページ-デジタル標高地形図ってこんなにおもしろい! 東京都区部編 より一部をトリミングし転用
http://www.gsi.go.jp/kanto/kanto41001.html)
隅田川付近までせり出した武蔵野台地の端の部分が、河川の浸食により削られながらもわずかに残ってできた微高地のようです。
待乳山の由来ははっきりとはしませんが、この辺りが江戸の地形が生んだ「真土」であることは間違いないようです