高輪に残る門のあと-高輪大木戸

高輪に残る門のあと-高輪大木戸

高輪に残る門のあと-高輪大木戸

江戸時代、各街道には江戸の入り口に当たる場所に大木戸と呼ばれる門が設けられらました。
甲州街道沿いの四谷や、甲州街道沿いの高輪などいくつかありましたが、中でも高輪大木戸は現在でもその石垣を見ることができます。
高輪大木戸は江戸の南の入り口に設けられました。
道幅約6間(10m)の東海道脇に石垣を築き、夜間に木戸を閉め、江戸の治安維持の機能を果たしていました。
この大木戸がある高輪は、江戸名所百景にも描かれています。
82景 高輪うしまちです。

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図は高輪大木戸の外側(品川側)をえがいたものです。
絵の右側にダイナミックに牛車が描かれています。
寛永11年(1634年)、京都の牛持たちが江戸に呼ばれ、石材などの資材運搬を勤めていました。
当時は市ヶ谷に住んでいたのですが、3代将軍家光のころ、海、街道にも近く、資材運搬に便利なこのあたりに移住させたとのことです。
そこからこのあたりを牛町という地名で読んでいたそうです。
地面にはスイカの皮が見られますので夏でしょうか。
また、遠く海上に島のように見えるものが台場です。
1853年、ペリーの来航を機に、品川沖に6基の大砲台が築かれました。この辺りは海に面した街道でしたので、海上の台場まで見渡すことができたのでしょう。