古典落語芝浜の舞台-本芝公園

古典落語芝浜の舞台-本芝公園

芝浜のあらすじ

「芝浜」という有名な古典落語があります。あらすじを以下に示します。

酒ばかり飲み、商いにいかない魚屋の亭主。妻から「釜の蓋も開かなくなる」など散々に急き立てられようやく重い腰を上げることに。
しかし、商いに行くと決めた前日も深酒をし、妻に起こされ尻を叩かれ渋々うちを出ます。
雑魚場へ魚を仕入れに行く亭主、朝は早く、あたりはまだ暗いままです。歩くうちにようやく空も白み始め、時を告げる鐘が。暗いのもそのはず、妻が時を一刻間違えて、早く起こしていたのです。
仕方がなく砂浜に腰掛け、顔を洗い、キセルを一服します。久しぶりの商い、打ち寄せる波音と、海辺の景色に多少気分を持ち直し、海辺に座っているとあるものに気づきます。
落とし主のわからない財布が落ちていたのです。中身を見てみると、なんと大金が!
慌てて財布を懐に入れ、家へと走る亭主。妻に事情を説明します。妻に数えさせると、財布には42両の大金が入っていたのです。
道端に落ちていたのならいざ知らず、海から拾ったものなのでこれは神様からの贈り物だと自分のものになったかのように振る舞います。
商いにも行かなくて良いと朝から人を呼び、酒、肴を買い、近所の人を呼び酒盛りを始めます。明日からは商いもしなくて良いと上機嫌に酒を飲み続けます。すっかり酔いつぶれ、翌朝を迎えます。
「商いにいって。釜の蓋が開かない」と、また、昨日と同じように亭主を起こす妻。昨日拾った42両があるはずと亭主。妻に財布の話をしても、妻は全く知らないと言います。昨日は商いにも行っていない、人を呼び酒盛りだけをして酔いつぶれて寝てただけだ、夢を見ていただけではないか、と言われてしまいます。
酔いつぶれて記憶も定かでない亭主。そう言われるとそんな気もします。あるのは昨日の酒盛りのあと。支払いを考えて恐々とします。借金を苦に死ぬことも考えますが、死ぬのは怖い。
心を入れ替え、働けばなんとかなると妻に言われたことをきっかけに、この日から酒を絶ち、真面目に商いに行くようになります。
真面目に働くと、もともと腕は確かな亭主でしたから、どんどん商いが軌道に乗ります。
こうして3年ほどが過ぎると、裏長屋を出て、表通りに面した店を構えるまでになります。
3年目の大晦日、その年の買掛も全て払い終わり、売掛のみが残っています。新しい畳の匂いに包まれ、福茶をのみ、新年をまつ亭主。妻は話がある、と3年前の話を始めます。
見せたいものがあると、亭主に差し出したのは42両が入った財布。実は3年前の財布は夢ではなく、現実だったと、当時騙したこと涙ながらに打ち明けます。
妻はひろった大金に恐怖を感じ、大家に相談をしていました。大家の勧めで財布を届け、拾った財布は「夢」にしろと言われ、まんまと「夢」になりました。
届けた財布は落とし主が見つからず払い下げとなり、亭主の元に戻ってきたのです。真面目に働き、財を成した亭主を見て、騙し続けたことに罪を感じつつ、今が時だと財布を亭主に出したのです。
3年前とは変わり、自分の働きで生活を盛り返した亭主に妻は酒を勧めます。ずっと絶っていた酒を勧められ、揚々と杯を手に取ります。
感無量といった表情で杯に口をつける亭主。そこでピタッと動きが止まります。
「どうしたの?」と亭主に尋ねる妻。

「よそう。夢になるといけねえ。」

立川談志の芝浜を元にあらすじを書きました。話の細かい部分は話し手により多少変わりますが、筋としてはだいたい上記のようなものかと思います。

芝浜の舞台、本芝公園

魚の行商を行う亭主が財布を拾う砂浜が、芝浜です。港区芝にあった砂浜が舞台とされています。

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上記は嘉永2年(1849年)に刊行された江戸切絵図の高輪絵図です。東西南北、と書かれた赤丸の右上に薩州とありますが、これは薩摩藩の蔵屋敷です。
蔵屋敷は藩の物揚場、港湾関係者の宿舎を兼ねた屋敷のことです。幕末、勝海舟と西郷隆盛の会合が行われた場所で、三菱自動車の前に「西郷南州勝海舟會見之地」の碑があります。

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上記地図、薩摩藩蔵屋敷の下の方に沙濱、と書かれた場所があります。ここが芝浜です。三菱自動車前の「西郷南州勝海舟會見之地」の碑の位置からすると、現在の本芝公園の辺りが芝浜にあたります。本芝公園内には亭主の仕事場であった雑魚場跡を示す案内板もあり、ここが落語の舞台芝浜であったことがわかります。

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また、上記地図にもある鹿島明神が今も残っています。

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埋め立てが進み、海が遠ざかり、当時の様子を思い起こすことは難しいですが、噺家を通してその砂浜を見ることはできます。