江戸木置場の跡-木場公園

江戸木置場の跡-木場公園

江東区木場の木場親水公園に、写真のような銅像があります。木置場で見られた、筏師(川並)の様子を表した銅像です。筏師は材木の運搬、仕分けのために丸太を組み、筏を作り竿で操る職人です。木場では特に筏師のことを川並、とよび、木場と川並は切り離せない関係にありました。(おはなし江東区 木材の町新木場より)

木場の地名が江戸時代、この辺りに置かれていた木置場から来ていることは有名です。こうした材木を扱う材木町は、江戸初期から木場の地にあったわけではなく、家康により作られた道三堀の沿岸にありました。原木は、そのまま置いておくと、乾燥によるひび割れや、虫喰いが発生します。そのため水につけた状態での保存がされます。この保存には、海水と淡水が混じった汽水の状態の水が都合が良いそうです。平川が流れ込む、日比谷入江のあたりは、材木を扱うのに適していたといえます。

日比谷入江の埋め立てが進み、材木の取引が不便になると、材木町は新しい埋立地へと移ります。三十間堀、茅場町のあたりです。その後、明暦の大火が江戸を襲います。江戸市中の各所に点在した材木町も大変な被害を受けます。建材としての材木を大火から守るため、また、延焼材としての材木を江戸市中から遠ざけるため、深川(佐賀町、永代)へと材木町、木置場を移動させました。これが木場の起こりです。その後さらに移転を繰り返し、1700年ごろ、現在の木場あたりに移ります。

この木場の木置場は昭和50年頃まで利用されましたが、東京湾の埋め立てが進み、新木場へとさらに移転をして、現在に至ります。新木場へと移転した材木関連企業跡地を土地を取得し、広大な面積の木場公園が作られました。木場公園の一角にはイベント池が設けられ、川並の伝統芸、角乗りなどを見ることが出来ます。

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