砂州に造られた漁師町-佃島

砂州に造られた漁師町-佃島

中央区に佃という地名があります。昔ながらの古い町並みや、船だまりが残り、江戸の情緒を残す一方、リバーシティ21といった、超高層マンションが並ぶエリアでもあります。
佃の地名は、家康の江戸の入城後、摂津国(大阪)の佃村から森孫右衛門一族と漁師たちが江戸に移り、幕府から拝領した砂州を埋め立て、漁業基地としたことに由来します。この隅田川上の砂州を佃島といい、現在の佃の一部として、今にその面影を残しています。
佃村の漁師が江戸に招かれた理由としては彼らの土木工事の技術が江戸の町作りに必要であったためと考えられます。彼らは深川、鉄砲洲など、軟弱地盤の土地造成に長けていたと考えられます。深川の地名は摂州人の深川八郎右衛門に由来します。(http://edokara.tokyo/conts/2015/08/10/86)

また、佃島の漁師たちが将軍に献上した魚の残りを販売したことが日本橋魚河岸の起こりです。
佃島に残る住吉神社は、摂津国佃村の住吉社を分霊したことに起源を持ちます。また、佃島には江戸時代から続く佃煮のお店がいくつか残ります。佃煮の起源には諸説ありますが、いづれにしても、江戸時代からの人々の営みが今もこの佃島の随所に残っていることは確かです。