江戸時代の輪郭-首都高速

江戸時代の輪郭-首都高速

2020年夏、1964年東京オリンピック以来、56年ぶり2回目の夏季オリンピックが東京で開催される予定です。オリンピックに向けて、競技場を始め、様々な設備、インフラが整備され東京の街も大きく変わることでしょう。
1964年のオリンピックに向けても、いまと同じように様々なインフラが整備されていきました。特に首都高速など、本格的なモータリゼーションを迎え、交通インフラが整備されました。東海道の拠点、日本橋にも上空に首都高速が走ります。
後楽園から一ツ橋、そして日本橋、隅田川に至る5号池袋線や、江戸橋ジャンクションから南下し京橋方面に至る都心環状線など、実に多くの首都高速が街中を走っています。
現在の首都高速の路線と、江戸時代の古地図を照らし合わせてみると、見事に川、堀と合致します。先に挙げた5号池袋線は江戸時代の平川、のちの日本橋川の流路に合致しますし、環状線は運河である楓川、築地川の流路そのままです。
高速道路建設の用地は公共用地利用が原則とされました。そのため用地買収の必要がない川の上や、昔川であった場所を通っています。計画的な用地買収ができなかったため、首都高速は今日のように曲がりくねり、渋滞を多く発生させています。
ともあれ、東京の首都高速を見れば江戸時代の運河跡を見つけることができます。いびつな形で残された江戸時代の痕跡です。