中野犬屋敷跡-生類憐みの令と綱吉

中野犬屋敷跡-生類憐みの令と綱吉

徳川家5代将軍、綱吉。生類憐みの令で知られる綱吉は、犬公方などと揶揄され、悪政を行った暴君というイメージが付きまといます。生類憐みの令にある綱吉の思いとは何だったのでしょうか。

中野犬屋敷跡と生類憐みの令

中野区、JR中野駅近くの区役所の敷地内に、数体の犬の像があります。この像は、江戸時代、この場所に犬の保護施設、「御犬囲(中野犬屋敷)」があったことにちなんでいます。5代将軍綱吉により、犬を中心とした数々の生き物を慈しむ旨の法令が次々と出されました。その結果、犬を飼うことが非常に煩わしくなったため飼い主を持たない捨て犬が増加。そうした犬たちを収容し、保護飼育するための施設が御犬囲(犬屋敷)です。犬屋敷は中野の他にも四谷大木戸の外、喜多見といった場所にも作られました。

中でも中野の御犬囲は非常に大きな規模で、四谷の犬屋敷取り壊しに伴い次々に拡張されます。敷地内は5つの御囲があり、「壱之御囲」が3万4538坪、「弐之御囲」、「参之御囲」、「四之御囲」がそれぞれ5万坪、「五之御囲」が5万7178坪と広大なものでした。

中野犬屋敷
中野犬屋敷のおおよその位置。根崎光男著 犬と鷹の江戸時代を参考に作成。

5代将軍、綱吉が目指した政治

生類憐みの令を生み出した綱吉は、正保3年(1646年)、3代将軍家光の四男として生まれました。のちに4代将軍家綱となる長男の竹千代とは異母兄弟。家綱に子供ができなかったことや、他の兄弟が亡くなったこともあり、延宝8年(1680年)、家綱の養子となり5代将軍に就任することとなりました。

綱吉は戦国時代から続く武力による政治(武断主義)から、儒教をもとにした、将軍家を中心とする官僚的な政治(文治主義)への意向を試みました。綱吉自身も大変に好学な人で、特に儒学に重きを置いていたようです。綱吉は仁徳をもとに政治を行っていく文治政治を強く進めていくことになります。勤勉でない幕臣はたとえ譜代であっても厳しく罰していく「賞罰厳明」主義や、不正を働く代官の免職、風俗統制を行っていきます。これらの政策の根底は先に述べた儒教の「仁政」の考え方があり、生類憐みの令もまた同様です。

生類憐みの令が生まれた理由

生類憐みの令とひとくくりに言われますが、こうした名前の法令が出たわけではありません。生物に対する慈しみの町触が複数出されており、それらを総称して「生類憐みの令」としています。犬の保護、という側面で知られていますが、名前のとおり、生きるものすべてへの慈悲という意味合いで、仁政を目指したものでした。

生類憐みの令の起こりについては諸説ありますが、貞享2年(1685年)に出された「将軍の行列が通るときに犬や猫が前を横切っても構わない」という町触である説が一般となっています。

こうした一連の町触が出された理由も諸説あります。

  • 傾奇者を一掃するため

当時町に蔓延っていた傾奇者というアウトロー的な人々を取り締まるため。傾奇者は犬食を行っていたことから。

  • 農家の鉄砲利用を取り締まるため

農家では刀狩り以降も鳥獣を追い払うために鉄砲の所持が見られた。それらを規制するため。

  • 服忌令(ぶつきりょう)、穢れに関係したもの

近親者に死者が出た場合の喪に服する期間を定めた服忌令に関連して体系立てたもの。また、綱吉自身が血の穢れを極端に忌み嫌っていたため。

いずれにしても綱吉自身の趣味嗜好や、個人の感情による政策ではなく、あくまで仁政ということが根底にあって出されたお触れであったと考えられます。

綱吉の固執が生んだ生類憐みの令の失敗

こうして出される町触は実に116件にも上ります。おそらく、生類を憐れむ、という当初の方針から徐々に外れる実態をさらにお触れで規制する、というサイクルが積み重なっていき、どんどん庶民にとって理解されずらいものに膨らんでいってしまったのではないかと考えられます。

犬を飼うということが非常に煩雑に感じられ、犬を捨ててしまう・・・。捨て犬が来て、餌でもやろうものなら居つかれてしまう・・・。そうした犬を扱うことでお触れに反してしまうと処罰されてしまうので犬に近寄らないようにする・・・。空腹の犬が捨て子を襲う・・・。といった負の連鎖により、生類憐みの令の悪評が定着していってしまったのかもしれません。

仁政を意識して、厳罰を重ねていく余り、理想と程遠い結果になってしまった生類憐みの令。その結果中野犬屋敷も作られました。こうした固執による失敗を綱吉もうすうす気づいてはいたのかもしれません。

それでも、綱吉のこだわりは相当のものであったようで、死の直前、

生類憐みの令は、たといすじなき(つまらない、ばかばかしい)事であっても、これだけは百年ののちまでも続けるように

東京百年史より引用

と遺言を残しています。しかし、綱吉の死後すぐに廃止となり、犬屋敷もその役目を終えました。

参考文献

  • 東京百年史
  • 塚本学著/徳川綱吉
  • 山室恭子著/黄門さまと犬公方
  • NHK歴史発見10
  • ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー著/犬将軍
  • 板倉聖宣著/生類憐みの令
  • 別冊歴史読本/徳川将軍家人物系譜総覧
  • ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー著/ケンペルと徳川綱吉
  • 福田千鶴著/徳川綱吉
  • 根崎光男著/犬と鷹の江戸時代