浅草吉原への通い道-山谷堀

浅草吉原への通い道-山谷堀

落語、浮世絵に描かれた山谷堀

あくび指南、という落語があります。以下のような噺です。

「あくび指南所」が町内にできた。習いに行きたいが、一人では少しきまりが悪い。仲のいい友達に一緒に来てくれと頼み、二人連れであくび指南所に行く。

師匠によればあくびにも四季の区別があり、友達の見ている前でまずは初心者向きの夏のあくびのけいこを始めることに。大川(隅田川)の舟遊びに退屈して出るあくびで「船頭さん、船をうわ手のほうにやってくれ。堀へ上がって新造でも買って遊ぼう。船もいいが、一日中だと退屈で退屈で・・・」と、ここであくび。

ところが、いくらやっても途中から吉原のなじみの女ののろけ話に脱線して、まったくあくびにならない。

それをずっと見ていた友達。「一つのことを何度も何度もやって。見ているこっちが退屈で退屈で」とあくび。

それを見た師匠「あのお連れの方のほうが器用だ。見てて覚えた」

佐藤光房著 合本東京落語地図より

あくび指南で登場する「堀」が待乳山のふもとから、吉原大門まで続く、山谷堀です。山谷堀は江戸名所百景にも「35景 待乳山山谷堀夜景」として描かれています。

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(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/74/100_views_edo_034.jpg)

手前を流れる川が隅田川。中央の闇に浮かぶ岡が待乳山です。そしてその右が、山谷堀です。

山谷堀から船で吉原へ向かう山谷通い

隅田川から山谷堀を上り、吉原へと向かうために主に使われた船は猪牙船(ちょきせん)という船です。船底が浅いため、スピードも出たようですが、横揺れも激しかったようで、

江戸っ子の 生まれそこない 猪牙に酔い

という川柳があります。また、この猪牙船は吉原通いにも利用されたため、別名を山谷船といいます。https://edokara.tokyo/conts/2015/10/26/297

猪牙船で吉原へ向かう場合、多くは神田川と隅田川の合流地点、柳橋で船を雇います。船はまず、神田川を下り、隅田川へ出ます。隅田川をさかのぼり首尾の松、幕府の御米蔵(現在の蔵前橋付近)を過ぎると、やがて右手に三囲神社の鳥居が見えてきます(江戸商家と寺社-三囲神社と三越)。この鳥居を目印に左へ曲がると山谷堀。

山谷堀の南側には、吉原通いの遊客を相手にした、船宿が多く並んでいたようです。船頭は遊客になじみの船宿をたずねます。遊客は船宿で船からおり、船宿の者の先導により、吉原へと向かいます(興津要著 江戸吉原誌,永井義男著 図説吉原入門)。

もっとも、山谷堀を船で上がり、吉原へと向かう「山谷通い」はぜいたくでした。柳橋から山谷堀までは三十丁(約3km)。「守貞謾稿」によると、猪牙船で船賃は148文。急がせた場合などは祝儀をはずむためさらに高くなったようです。

多くの吉原通いの遊客は、日本堤を通り、吉原大門へと向かいました。この日本堤はもともと、隅田川の氾濫を防ぐ堤防でした。のちに吉原がこの地にできたため、吉原通いのみちとなりました。待乳山から吉原大門に続く、この土手が八丁(870m)ほどであったことから、土手八丁とも呼ばれていました。