御茶ノ水の地名の由来
御茶ノ水橋の駿河台側にある交番脇に御茶ノ水の地名の由来を伝える碑があります。碑には以下のように書かれています。
慶長の昔、この邊り神田山の麓に
高林寺という禅寺があった ある時
寺の庭より良い水がわき出るので
将軍秀忠公に差し上げたところ
お茶に用いられて大変良い水だとお褒め
の言葉を戴いた。それから毎日
この水を差し上げる様になり この寺を
お茶の水高林寺と呼ばれ、この邊
りをお茶の水と云うようになった。
其の後、茗渓又小赤壁と稱して
文人墨客が風流を楽しむ景勝の地
となった。時代の変遷と共に失われ
行くその風景を惜しみ心ある人達が
この碑を建てた。
(ホテル龍名館 神田お茶の水についてより引用)
地名の由来はまさに将軍用のお茶に用いるための井戸(水)があったことにあります。御茶ノ水地名の由来となった井戸の水も江戸の街づくりに深く関係しています。
人の手により作られた神田川
二代目将軍秀忠の時代、1620年頃、江戸での三回目の天下普請が行われます。
この普請の中に、神田川(仙台堀)の工事がありました。
江戸初期の神田川は平川と呼ばれていました。家康入城の際、平川の河口を付け替え、江戸前島を横断する形に流れを変えました。現在の日本橋川の流路とほぼ一致します。
この平川下流部では、度々洪水による深刻な被害が出ていました。そのため幕府は洪水から江戸城や下流部の町々を守るため、先の工事を行いました。
当時江戸湾に南に流れ込んでいた平川、小石川、旧石神井川の流れを東に直角に曲げ、隅田川に流すように変える工事です。
平川を隅田川に流すためには、途中本郷台地を通過する必要があります。下に添付した地図は1684年に刊行されたゑ入江戸大絵図です。
この第三次天下普請の際に開堀されたのが緑の箇所、今の神田川になります。
御茶ノ水駅周辺は神田川に面して旧な崖になっていますが、これはこの工事で作られた掘割の名残です。
神田川の掘削と高林寺の井戸水
前述の碑では高林寺の井戸水が御茶ノ水の地名の由来であることを示していますが、この井戸水もおそらくこの神田川掘削工事の影響でできたものと考えられます。芳賀ひらく著 江戸東京地形の謎では明暦江戸大絵図を紹介し、高林寺御茶ノ水が神田川沿いにあったことを指摘し、本郷台地の掘削により断面の含水層から水が湧き出す水が御茶ノ水の地名の由来となったとしています。また鈴木理生著 江戸・東京の地理と地名でも、この工事による湧水が地名の由来となったとしています。
江戸の都市づくりの名残が今も、「御茶ノ水」という地名として残されています。
東京に残された江戸時代に由来する地名
この記事で紹介した以外にも、東京には江戸時代に由来する地名が多く残されています。