秋葉原の地名の由来–秋葉講と秋葉神社

秋葉原の地名の由来–秋葉講と秋葉神社

秋葉原の地名の由来–秋葉講と秋葉神社

東海道秋葉山常夜灯

江戸日本橋を離れて230キロ、静岡県袋井市に東海道の宿場町、袋井宿があります。東海道27番目の宿場町で、53次と言われた東海道の中間に位置します。そんな袋井市の新屋という町に、木製の秋葉山常夜灯があります。
近くで見ると、精巧に彫られた彫刻が良い状態で残っており、街道を歩く足もついつい止まってしまいます。
秋葉山常夜灯は、江戸時代に流行した、秋葉山信仰と関係があります。秋葉山信仰は火防の神、秋葉大権現を信仰するものです。信仰の対象となる秋葉大権現については諸説ありますが、江戸時代は神仏習合で、山岳信仰なども交わり、広く秋葉山として信仰の対象であったようです。
常夜灯は地区の人々の火防の神、秋葉山への信仰の形として作られました。また、秋葉山参拝も盛んに行われるようになり、袋井市新屋の常夜灯のように街灯としての目的で作られたものもあります。東海道を往き来する旅人たちの目印となったことかと思います。

江戸時代の代理参拝組織、「講」

江戸時代の旅の目的の一つに信仰がありました。信仰の対象となる、遠隔地に参拝をする為の旅です。
交通手段が発達していない当時の人たちにとって、旅は一生に一度あるかないかの大イベント。かかるお金も相当です。信仰の旅も誰しもが気軽に行けるものではありませんでした。
そこで江戸時代、考えだされたのは集団でお金を出し合い、代表者がみんなの代わりに参拝の旅に出る「代参講」という仕組みでした。秋葉山に参拝する為の集団を秋葉講と呼び、関東などを中心にたくさんの秋葉講が組織されました。秋葉講の他にも伊勢講や大山講など、様々な代参講が組織され、信仰の旅が活発になりました。秋葉山への信仰もこうして広がり、各地で秋葉山常夜灯や、秋葉神社が作られるようになりました。

秋葉原の地名の由来

台東区秋葉原の地名の由来は、この秋葉山信仰と関係があります。
江戸時代が終わり、明治となっても、江戸の街並みはそう急には変わらず、依然木造の建物が密集していました。明治にはいってすぐ、東京を大火が襲います。この大火がきっかけとなり、火災延焼をふせぐ火除地と呼ばれる空き地が秋葉原の地に作られました。
この火除地に英照皇太后(明治天皇御母)の発案により、皇居内の紅葉山より火防の神である火産霊大神、水波能売神、埴山比売神の三神を奉遷し、三神を祀った社が創建されました。
この社は秋葉山信仰の対象であった秋葉大権現とは直接の関係はないようです。火防信仰で有名であった秋葉大権現が祀られていると勘違いした人々がこの地を、秋葉大権現の原っぱ、「秋葉っ原」とよんだことが定着し秋葉原となりました。

今も残る秋葉神社

秋葉原から少し離れた、台東区松が谷に秋葉神社があります。この秋葉神社は秋葉っ原に創建された社が起源です。

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秋葉原にあった社はやがて秋葉社となり、秋葉原の地に明治21年まで存在しました。その後、鉄道駅(秋葉原駅)建設に伴い現在の松が谷の地に遷宮されました。秋葉原の地名は今に残り、人々の信仰も秋葉神社という形で残り続けています。