赤坂の地名の由来
港区の赤坂。地名の由来ははっきりとはせず、以下の説があります。
- 紀州徳川家の屋敷のあるあたりを赤根山といい、そこへ上る坂を赤坂といったことから
現在の迎賓館の地に紀州徳川家の屋敷がありました。ここに茜草(あかね草、センソウ)が多く生えていたことから、この辺りを茜山、と呼びました。ここから転じて赤根山となり、赤根山に続く坂を赤坂と呼び地名になった、という説です。
- 赤土の坂があったから
赤土の多い傾斜地であったため赤坂、という坂の名前がつき、それが地名になったという説です。
いずれにしても赤坂、という坂があり、そこから転じて地名となっている可能性が高いといえます。
地名の由来となった赤坂
地名の由来となった「赤坂」という坂名がついた坂は現在ありませんが、現在の紀伊国坂(きのくにざか)がかつて赤坂と呼ばれていたと言われています。御府内備考には
此坂を古く赤坂と称し、赤坂庄の名も是よりおし及ひしという
とあります。紀伊国坂の名前になったのは紀伊藩徳川家の中屋敷がこの地にでき、正門がこの坂に向いていたためです。近くに上屋敷もあるのですが、手狭なため、広大な中屋敷が上屋敷の機能を備えていたようです。
赤土に関連する地名
冒頭に紹介した通り、赤坂の地名の由来となった、「赤坂」の名前の起こりは諸説あります。全国の坂の中で、「赤坂」とつく坂名が最も多いといわれています。坂の色を端的に表た名前として定着したもので、それだけ赤い色の坂が多いことのあらわれとも言えます。
また、東京には「赤」がつく地名が沢山あります。赤坂の他にも、赤羽橋、赤羽、赤堤などがあります。これらは関東を覆う、関東ローム層に関係があります。
旧石器時代、関東地方には、富士山、箱根山、浅間山などの噴火によって大量の火山灰が堆積しました。火山灰は鉄分を多く含有するため酸化し、赤褐色になります。そのため赤土、とよばれます。赤土は広く関東ローム層として関東平野に堆積します。そのことが「赤」のつく地名と深く関わっています。
まず、北区の赤羽。赤土を意味する赤埴が語源です。江戸時代には赤羽根と呼ばれるようになります。港区の赤羽橋は赤土を材料に土器を制作する職人が多く住んでいた為、赤埴と呼ばれたことが由来です。町名としての赤羽は残っていませんが、地下鉄の赤羽橋駅などにその名を残します。
赤堤はまさに赤色の堤からきています。羽田の地名も「赤」の字はありませんが、元々は赤土の田を意味する「埴田」からきています。
赤坂の地にも赤土が露出した「赤坂」が多くあったと考えられます。
東京に残された江戸時代に由来する地名
この記事で紹介した以外にも、東京には江戸時代に由来する地名が多く残されています。
参考文献
- 竹中誠編/東京の地名由来辞典
- 原史彦編/江戸の大名屋敷
- 俵元昭著/港区史跡散歩
- 芳賀ひらく著/江戸東京地形の謎
- 大石学著/坂の町江戸東京を歩く
- 正井泰夫監修/歴史で読み解く!東京の地理
- 横関英一著/江戸の坂東京の坂