新宿の地名の由来-内藤新宿追分

新宿の地名の由来-内藤新宿追分

新宿の地名の由来-内藤新宿追分

新宿三丁目の駅のそばに、新宿追分、という名前のバス停があります。追分という言葉には以下の意味があります。

もとは「牛馬を追い、分ける場所」を意味したが、
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上記が転じて、単に二つに道が分かれる地点のことを追分と言うようになったそうです。
新宿追分もそのような分かれ道の一つです。江戸時代この辺りは甲州街道、青梅街道の追分でした。新宿が今日の発展を見せるのはこの追分に宿場町が作られてからです。
もともと、甲州街道の最初の宿場は高井戸宿でした。しかし、日本橋から高井戸宿までの距離は四里、16キロほどありました。そのため日本橋から二里のこの辺りに内藤新宿という宿場が作られます。内藤、とつくのは信州高遠藩内藤家の下屋敷があったためです。ちなみにこの下屋敷が今日の新宿御苑です。
新宿は上記のように甲州街道の新しい宿だったからでしょう。つまり新宿の由来は甲州街道の新しい宿場、内藤新宿にあります。
内藤新宿は江戸四宿に数えられ大変な発展を見せます。もっとも、甲州街道を通る大名はあまりおらず、高島、高遠、飯田の三藩のみでした。しかし、青梅方面から野菜や、木炭、甲州方面からブドウ、絹、また秩父からも火薬などの物資が運ばれ、追分は物流拠点として発展しました。
その後山手線新宿駅ができ、内藤、の文字は取れますが、江戸時代からの賑わいは今も続いています。

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