お台場はなぜあの場所に-品川台場築造の理由

お台場はなぜあの場所に-品川台場築造の理由

お台場はなぜあの場所に-品川台場築造の理由

ゆりかもめ台場駅を降り、5分ほど歩くと潮風公園があります。お台場エリアのほとんどは江東区に属するのですが、この公園、船の科学館あたりは品川区となっています。公園から品川埠頭方面を見ると、品川区であるのも納得、ずいぶん対岸が近く見えます。
潮風公園から見える、品川沖あたりに江戸末期、品川台場が作られました。お台場築造位置の選定にあたったのは、「勘定吟味役格兼鉄砲方」に任命された江川英龍です。
江川が当初台場築造場所として主張したのは、東京湾で最も狭い箇所である富津、走水間でした。しかしこの海域は水深が深く、海流が早いなどの障害がありました。そのため、ペリー再来までの築造に間に合わないことがわかりました。その後羽田沖などの築造も検討されましたが、最終的には品川沖へのお台場築造に落ち着きました。
元々東京湾入り口で、外国船の侵入を阻止する予定が、品川沖、しかも江戸城寄りに片寄せて作られた台場での防備に変わりました。ずいぶん守りが薄くなった気もしますが、そこには東京湾の地形も計算に入れた計画がありました。
東京湾は江戸川、荒川、隅田川など利根川水系の川が運ぶ砂により遠浅になっています。黒船ほどの吃水の深い船で東京湾からさらに江戸城近くまで行くためには海底谷となっているところを通るしかなく、それは品川沖、隅田川河口に限られます。つまり、ここを火力によって防備すれば、江戸市中への接近は防げたわけです。
上記のような理由から、水深の浅い東京湾に、短期間に品川台場が築造されました。