小網町の地名の由来-江戸の漁と小網町

小網町の地名の由来-江戸の漁と小網町

小網町の地名の由来

中央区に日本橋小網町(こあみちょう)という地名があります。現地案内板では地名の由来を以下のように紹介しています。

網を引いて将軍の観覧に供した漁師たちが、御肴御用を命ぜられ、白魚献上の特権を得ました。この漁師たちが、一丁目の町角に網を一張干しておく風習から生じた町名と思われます。

町名の由来としてはっきりしたことは分かっていません。当地にあった、小網稲荷からその名を取ったという説もあります(中央区教育委員会 中央区の昔を語る五)。ただ、江戸時代初期には入江が、それ以降も魚河岸が存在していたこともあり、江戸の漁業と関連した町名である可能性が高いと考えられます。

白魚漁と白魚役

小網町の地名の由来とされる、白魚献上の特権を受けた漁師たちが、「白魚役」という役名で呼ばれた漁師たちでした。

「白魚役由緒書」によれば、慶長6年(1601年)、家康が上総国東金筋に鷹狩に出かけた際に、浅草川(隅田川)で白魚を献上した漁師たちが白魚役の起こりとされています。家康から褒美として麻を下賜され、毎年の白魚献上を命じられました。

白魚献上を行っていたのは白魚役だけではありません。佃島の漁師たちも白魚献上を行っています。家康が江戸に入国した際、摂津国(大阪)の佃村から江戸に移り住み、漁業を行っていたのが彼らです(砂州に作られた漁師町-佃島)。佃島の漁師たちは家康より江戸における漁業権(お墨付き)を得ていました。献上していた魚も白魚に限らなかったようです(東京都 佃島と白魚漁業)。

白魚役と佃島漁師、御菜八ヶ浦

佃島漁師も、白魚役もともに白魚献上を行っていた漁師団でしたが、2つは全く別の起こりを持つ漁師団だったようです。東京都発行の「佃島と白魚漁業」では2つの白魚漁の方法の違いをその理由としています。

白魚役は隅田川の浅草から芝浦までの白魚占漁権を認められていました。一方佃島漁師にも上述のお墨付きが与えられており、漁業紛争が絶えなかったようです(東京都 佃島と白魚漁業)。

このような漁師団として、ほかに「御菜八ヶ浦」がありました。江戸湾の漁村を地域ごとに、「金杉浦」、「本芝浦」、「品川浦」、「大井御林浦」、「羽田浦」、「生麦浦」、「子安新宿浦」、「神奈川浦」の8つに区切り、それぞれ占有漁場を与えたものです。それぞれの漁村には魚介類の上納が求められましたが、免税の特権が与えらていました(流通ネットワーキングNo291 野澤 良彬著 白魚と将軍と隅田川)。

それぞれ起こり等について不明確な点は多々ありますが、いずれにしても江戸時代以前は江戸が入江に面した一漁村に過ぎなかったこと、江戸時代以降も江戸湾が良好な漁場として機能し、江戸の食を支えていたこと、またそれに関連する仕事が多くあったことが垣間見えます。