神田青物市場の起こり
神田須田町交差点の近くに、神田青物市場発祥之地の石碑があります。
青物市場は現在の市場のイメージとは違い、店舗兼住所の卸売屋がたくさん集まり町を形成していたようです。神田青物市場の起こりは、慶長17年(1612年)、江戸幕府が江戸市中の食糧需要に対応するため、伊勢松坂の青物商人を呼びよせ、さらに翌年に同じく伊勢松坂の伊勢谷長兵衛を江戸に呼び、神田多町に住まわせたことにあります(河合敦監修 江戸の暮らし辞典)。神田青物市場は神田川沿いの河岸からの荷揚げ品、日本橋川の鎌倉河岸の荷揚げ品などを扱う市場だったようです。現地案内板によるとその広さ一万五千坪(49500㎡)。大変な賑わいだったことが想像できます。
「やっちゃば」の語源
青物市場の事をやっちゃば、と言います。この理由には諸説あり、セリの声が「ヤッチャ、ヤッチャ」と聞こえた説、「神田八辻ヶ原筋違町の青物茶屋の場」を縮めたとする説などです。やっちゃばが神田だけでなく色々な場所にあったことを考えると、前者の方が自然な印象を受けます。賑やかな市場の様子がやっちゃば、という呼名に込められています。
各地の青物市場
多町、連雀町、雉子町、佐柄木町、隅田町の五ヶ町からなる、神田青物市場のほかにも各所に青物市場が形成されていました。神田青物市場に、千住、駒込の市場を加えた3箇所が江戸三大やっちゃばです。三大やっちゃばに、本所、京橋を加えた5箇所が五大やっちゃばとなります。それぞれ各所の水運、陸運を生かした特色ある市場であったようです。
たとえば、三大やっちゃばの一つ、駒込は駒込土物店と呼ばれ、近郊で取れた土がついたままの根菜類を中心に取引が行われていました。
また、五大やっちゃばの一つ、京橋の市場は、大根河岸とよばれています。京橋川の水運で運ばれた大根の取り扱いが多かったため、このように呼ばれます。大根河岸はその後、昭和に入るまで続きますが、中央卸売市場法の施行に伴い、現在の築地市場に移転をします。
(京橋大根河岸青物市場跡の碑)
神田青物市場と秋葉原のやっちゃば
神田青物市場も、昭和に入り秋葉原へと移転します。UDXの敷地内、植え込みにひっそりと青物市場があったことを示す説明板が残されています。
秋葉原の青物市場も1989年に幕を閉じ、大田市場へとその役目をバトンタッチしています。
(秋葉原UDXに残る神田青物市場跡の碑)