千代田区永田町に溜池山王駅があります。駅名は江戸時代にこの地にあった人口の池である「溜池」とかつて山王権現と呼ばれた日枝神社に由来します。
溜池山王の由来
六本木通りと、外堀通りが交わる溜池交差点に溜池発祥の碑があります。溜池山王駅の完成を記念して、平成9年に作られたものと書かれています。
溜池山王という地名は存在しませんが、溜池の地名はかつて存在していました。由来は、江戸時代初期にこの地に作られた人工の池「溜池」にあります。
溜池は、この辺りを流れていた汐留川上流の清水谷(紀尾井町のあたり)と、太刀洗川をせき止め作られました。清水谷と大刀洗川は日比谷入江という入江に流れ込んでいました。(日比谷の地名の由来-海の痕跡が残る日比谷公園)
文禄元年(1592年)ごろから日比谷入江が埋め立てられていきます。慶長11年頃には外堀とともに、2つの河川の河口付近に堰を築き溜池となりました。
溜池山王の「山王」は永田町にある日枝神社がその由来です。江戸時代は山王権現と呼ばれていました。
山王権現は家康が江戸に来る以前からあった神社です。家康以前、この地を治めた江戸氏が勧進したことが起こりとなっています。明暦3年(1657年)の大火の後、赤坂溜池際松平忠房の屋敷跡に再建され現在に至っています。
溜池の名残
江戸時代の溜池の堰は現在の特許庁あたりにありました。溜池はそこから赤坂見附駅あたりまで1.4kmにわたって続いていました。赤坂見附、溜池、霞が関にかけて、外堀通りに沿って現在でも低地が続きます。とはいえ溜池があった名残はあまり感じられません。
唯一の名残といえば、特許庁近く、虎ノ門三井ビルディング前にに残された溜池櫓台の石垣です。現地案内板によると、この櫓台は1636年、因幡鳥取藩主池田光仲によって構築されたとあります。
上に示したのは1849年刊行の江戸切絵図外桜田永田町絵図です。残された櫓台は図の右下、緑線を入れたあたりのもので、まさに溜池の堰、赤坂ドンドンのすぐそば。そして外堀の隅櫓の一部であることがわかります。
この櫓台の石垣以外にも、文部科学省旧館裏側にも外堀の石垣の一部が残されています。(江戸城大城郭の名残、外堀跡を歩く)
東京に残された江戸時代に由来する地名
この記事で紹介した以外にも、東京には江戸時代に由来する地名が多く残されています。
参考文献
- 図解大江戸八百八町
- 鈴木理生著/江戸の川東京の川
- 江戸東京学事典