月見名所の名残-高輪石垣

月見名所の名残-高輪石垣

高輪の地名は高台の縄手道(あぜ道)を意味する高縄手に由来します。
高縄手が転じて、高縄、高輪となったそうです。
以前は人家も少ない場所だったようですが、江戸時代には東海道を往来する人々や、風光明媚な行楽地として栄えたようです。
月見の名所としても知られ、「江戸自慢三十六興 高輪廿六夜」には、海にたくさんの船が浮かぶ様子、屋台が数多く並ぶ様子が描かれています。海沿いの見通しの良い場所であったことが伺えます。

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一立斎広重の「東都名所 高輪全図」を見ると、海辺の土地であることがよくわかります。
波打ち際に石垣が築かれているのがわかりますが、この石垣が泉岳寺駅近くに移築され、ほんの一部残っています。

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もとは高輪2丁目の別の場所から発掘されたものだそうですが、少し位置を変え、この地で見ることができます。