八重洲の地名由来-耶揚子と東京駅

八重洲の地名由来-耶揚子と東京駅

八重洲の地名の由来

東京駅八重洲口。近年再開発が進み、南北のツインタワービル、グラントウキョウを皮切りに、グランリーフなど次々に新しい建物が作られています。この八重洲の地名も江戸時代に由来します。

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上に示したのは1670年に刊行された新版江戸大絵図です。この図は馬場先門、現在の二重橋前駅を中心に見たものですが、中央に「やよすがし」と書かれているのがわかります。このやよすがしが現在の八重洲の由来です。やよすがしの「やよす」は、1600年、豊後(現在の大分県)に漂着したヤン・ヨーステンに由来します。

ヤン・ヨーステンとやよすがし

ヤン・ヨーステン(耶揚子)はウィリアム・アダムス(三浦按針)とともにデ・リーフデ号で豊後に漂着しました。その後家康により2人は外交顧問として召し抱えられます。外交顧問となったヤン・ヨーステンの屋敷は日比谷入江を埋め立てたあたり、先に示した地図の和田倉門外のあたりにあったと言われています。つまり、やよすがしはヤン・ヨーステン、耶揚子河岸を意味しています。

東京駅と八重洲の地名

このやよすがし、現在の八重洲とは異なり、丸の内側(西側)にあることが地図からわかります。どのようにして八重洲はいまの場所に移ったのでしょうか。そのきっかけは江戸時代より先、明治17年(1884年)に現在の八重洲口外堀通りあたりを流れていた外堀川に八重洲橋が架けられたことにあります。この橋は京橋と、当時の八重洲(耶揚子)を結ぶ橋でした。

その後、東京駅が開業します。開業当時は丸の内側にしか出入り口がなかったのですが、昭和4年(1929年)に現在の八重洲側(東側)にも出入り口が設けられました。

当時は西側の改札を八重洲町口、東側を八重洲橋口と呼びました。この年、東京駅周辺の地名改変が行われ、元からの八重洲が廃止され、丸の内に、八重洲橋のある東側を八重洲という地名にしました。駅の出入り口もこれにより東側を八重洲口、西側を丸の内口と呼ぶようになりました。このことから東京駅東側が八重洲、西側が丸の内といった認識が広がっていきました。

その後1954年の地名改変により現在の八重洲が形作られました。地名の由来はそのままですが、江戸時代とは異なった、新しい八重洲が作られています。

東京に残された江戸時代に由来する地名

この記事で紹介した以外にも、東京には江戸時代に由来する地名が多く残されています。

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