江戸時代初期の水道、神田上水跡を歩く

江戸時代初期の水道、神田上水跡を歩く

江戸が大都市になっていくために不可欠であった飲み水。海辺の湿地帯であった江戸の町に飲み水を給水するために作られたのが上水です。その中でも江戸初期に作られたのが小石川上水です。小石川上水はのちに水源などの拡張を経て、神田上水と呼ばれるようになります。

関口、水道の地名の由来-江戸初期の名残神田上水跡文京区に「関口」という地名があります。江戸初期に造られた小石川上水へ水を引き入れるため、神田川に造られた堰に由来するという説があります。小石川上水は江戸の町の発展とともに連続的に整備され、神田上水と呼ばれるようになります。

神田上水はすでにその役目を終えていますが、取水口であった神田上水大洗堰や、白堀あとなど遺構を今でも見ることができます。神田上水の取水口から、小石川後楽園、水道橋掛樋跡を経て御茶ノ水まで歩く江戸さんぽコースをご紹介します。

  • 歩行距離:5.5km~6km
  • 歩行時間:1時間15分~2時間
  • スタート地点:東京メトロ東西線 早稲田駅
    都営荒川線 早稲田駅
  • ゴール地点:御茶ノ水駅
  • 混み具合:途中公園や、公共施設があり、若干混雑する箇所がある。
高低図
ルートの標高を図に表した高低図。
後半水道橋からお茶の水にかけて登坂が続く。

神田上水取水口の守り神、水神社

ルートのスタート地点は神田川にかかる駒塚橋。電車では都電荒川線の早稲田駅が最寄になります。東西線の早稲田駅からも少し距離がありますが、アクセス可能です。

駒塚橋を北に向かってわたると、水神社があります。

伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、

「我水伯(水神)なり、我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町ことごとく安泰なり。」と告げたのでここに水神を祭ったという。

現地案内板

この地にあった八幡宮の宮司の夢枕に水神が現れ、神田上水の堰の守護神として祀らせた、というのが水神社の由来とされています。

水神社
階段の上に巨木と小さな社がある

神田上水工事に携わった芭蕉の庵、芭蕉庵

水神社のわきには胸突き坂という細くて急こう配の坂道。この坂道を挟んで芭蕉庵があります。

芭蕉庵は別に、江東区常盤にあり、そちらはおくのほそ道の出発点としても知られています。

芭蕉庵史跡展望庭園内の芭蕉像「おくのほそ道」への出発点-芭蕉庵跡と千住大橋(1)江東区常盤に芭蕉稲荷があります。芭蕉が1680年から住んだ草庵があった跡地であり、芭蕉の名は、この庵に植えられた芭蕉に由来します。「古池や 蛙飛びこむ 水のをと」の句を詠んだのもこの庵と言われています。また、おくのほそ道の出発点もこの庵でした。

こちらの芭蕉庵は「関口芭蕉庵」と呼ばれており、延宝5年(1677年)~延宝8年(1680年)までの間に、神田川改修工事にかかわった芭蕉が「龍隠庵(りゅうげあん)」と呼ばれる庵に住んだことが起こりとされています。この龍隠庵が後に関口芭蕉庵と呼ばれるようになりました。

関口芭蕉庵は火災、戦災で焼失。現在の芭蕉庵の建物は戦後に再建されたものです。

関口芭蕉庵
関口芭蕉庵

神田上水大洗堰

関口芭蕉庵を過ぎて、神田川沿いの遊歩道を歩くと、やがて江戸川公園に入ります。この公園の敷地内に、神田上水取水口大洗堰跡があります。

現地にある石柱は現在の大滝橋あたりにあった大洗堰のあたりで実際に使われていた石柱で、昭和8年の大洗堰廃止の際に撤去されたものをこの場所に移設したものです。

関口大洗堰
大洗堰に使われた石柱

神田上水旧白堀跡

大洗堰で取り入れられた水は上水路(白堀)を通り、神田、日本橋方面を目指していきます。江戸川公園はおおよその流路と思われます。江戸川公園をさらに進むとやがて大きな通りとぶつかります。

通りを渡り、さらにまっすぐ小石川方面へと進む。

神田上水の流路は、通りを渡った先、路地へと続きます。しばらく進むと文京福祉センターという建物が見えます。この敷地内に白堀の遺構の展示があります。福祉センター新築工事の際に発掘された白堀跡が復元展示されており、当時の様子をうかがうことができます。

白堀跡
神田上水旧白堀跡

小石川後楽園

福祉センター前の道がおおよその神田上水の流路跡。流路に沿って道をしばらく歩くと、牛天神下交差点にたどり着きます。

ここから先は流路跡がはっきりわかりませんが、神田上水はこの後、小石川後楽園(旧水戸藩邸)内を流れます。

園内には神田上水跡として、園庭の流れを見ることができます。

小石川後楽園神田上水跡

神田上水掛樋跡

小石川後楽園のわきの歩道を抜けて、水道橋方面へと進みます。水道橋交差点を渡り、外堀通りを御茶ノ水方面にのぼっていくと、やがて神田上水掛樋跡を見つけることができます。

神田上水はここにあった掛樋を通り、神田川を渡り、神田方面へと給水されていきました。

水道橋の由来-神田上水掛樋水道橋駅から御茶ノ水方面に外堀通りを歩くと、歩道わきに「神田上水掛樋跡」の石碑があります。「樋」は管のこと、「掛樋」は上空をわたすための管をさします。水道橋の地名はまさにこの掛樋に由来します。掛樋は江戸時代に作られた上水道、神田上水の水を江戸市中に通水するための水道管の橋でした。この掛樋が現在の水道橋の地名の由来です。
神田上水掛樋跡碑
神田上水掛樋跡の碑

復元された水路が間近で見られる給水所公苑

ここから一度水道橋交差点へと下るか、その先の順天堂前交差点の横断歩道を渡り、本郷側の歩道を歩きます。外堀通りは道幅も広く、横断歩道がないため、面倒ですが少し回り道をする必要があります。順天堂前交差点までは若干距離がありますので、水道橋交差点に戻り反対側に渡ったほうが楽かもしれません。

しばらく外堀通りを御茶ノ水方面に進み、順天堂大学センチュリータワーのわきの道を本郷方面に入ると、本郷給水所公苑、という公園があります。給水所の上に作られた公園のため、階段、スロープを上がって公園内に入る必要があります。

公園内には、先ほど歩いてきた神田上水跡の白堀を移築復元した水路を見ることができます。

当時のサイズをそのままに復元されているため、今まで歩いてきた神田上水白堀跡のイメージが膨らみます。

給水所公苑内、白堀
給水所公苑内にある白堀

水道の歴史が学べる東京都水道歴史館

給水所公苑の隣には東京都水道歴史館が隣接されています。開館時間中は給水所公苑から直接入ることができます。

館内には神田上水から現代の水道までの歴史や技術に関する展示がされており、江戸の上水の歴史をさらに学ぶことができます。

東京都水道歴史館
東京都水道歴史館

御茶ノ水の由来碑

水道歴史館を過ぎて、御茶ノ水橋を渡ると、駅入り口の反対側に交番があります。その交番のわきに、御茶ノ水の由来碑があります。

なかなか飲み水に恵まれなかった江戸ですが、いくつか名水といわれる湧き水が得られるところがありました。そのうちの一つが御茶ノ水です。

神田川の開削工事の際に、本郷台地の断面から湧き出した水が御茶ノ水と呼ばれるようになり、地名になったという説があります。

御茶ノ水の地名の由来-作られた神田川御茶ノ水の地名の由来はまさに将軍用のお茶に用いるための湧き水があったことにあります。この湧き水は、江戸時代に人工的に作られた神田川の工事により湧き出したものと考えられます。
御茶ノ水由来碑
御茶ノ水由来碑