両国の相撲起源の地-回向院

両国の相撲起源の地-回向院

無縁仏のためのお寺、回向院

墨田区に回向院というお寺があります。回向院は明暦の大火(振袖火事)の犠牲者を弔うために建てられたお堂がその起こりです。回向院のウェブページには以下のように案内されています。

当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
http://ekoin.or.jp/history/

江戸は火事が多い街でした。人口の増加による家屋の密集、冬場にふくからっ風が要因に挙げられます。中でも明暦の大火は振袖火事でその名が知られています。

内閣府 中央防災会議の、「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 1657 明暦江戸大火 」によるとこの火災での死者は6万8000余人。焼失区域は現在の千代田区と中央区のほぼ全域、文京区の約60%、台東区、新宿区、港区、江東区のうち千代田区に隣接した地域一体と、非常に大きな被害状況であったことがわかります。被害者のほとんどは身元や、身寄りがわからない方々だったといいます。このような被害者の弔いのために建てられたのが両国、回向院です。

両国相撲の起源、回向院

https://www.library.metro.tokyo.jp/portals/0/edo/tokyo_library/modal/index.html?d=5355

回向院は勧進相撲の定場所としても有名です。勧進相撲とは寺社建立の資金となる浄財を集めるために行われた相撲のことです。江戸時代初期にはそのような形での興行しか許可されていませんでした。文政年間に発行の「年中行事東都遊覧」では江戸後期の勧進相撲の様子を以下のように紹介しています。

角力晴天十日場所不定 芝神明、御蔵八幡、両国回向院、茅場町薬師、此外折々花相撲場所不定。深川八幡、西大久保八幡。神田明神

(松木伸也著 富岡八幡宮と江戸勧進相撲)

回向院をはじめ、いろいろな寺社で勧進相撲が行われていたことがわかります。

江戸市民に親しまれていた勧進相撲ですが、幕府からたびたび禁止令が発令されています。原因は定かではありませんが、興行中の観客同士の喧嘩が頻発したことがあるのではないかと考えられています。

貞享元年(1684年)、江戸での勧進相撲が許可されると相撲はさらに盛んになりました。その後、天保4年(1833年)、回向院が定場所となり、回向院で行うことが定例となりました。この回向院の定場所が今に続く、両国国技館の前身です。

土俵があった場所は、今はビルの敷地内ですが、このような形で「土俵」が残されています。

image